ゆか先生の音楽室

ピアノ教室のことや、日々の出来事などを書き留めています。

やりがい搾取

来月からではありますが、コンクール等の外部イベント本番付添を定額有料化にいたします。
 
やりがい搾取という言葉をご存知でしょうか?
 
やりがい搾取(やりがいさくしゅ)とは、経営者または依頼者が本来支払うべき賃金や手当、料金の代わりに、労働者に「やりがい」を強く意識させることでサービス残業長時間労働)や無賃労働を勧奨し、本来支払うべき賃金(および割増賃金)や料金の支払いを免れる行為をいう[1][2][3]。東京大学教授で教育社会学者の本田由紀により名付けられた[1][3]。
 
2018年3月下旬、東京都庁から2020年東京オリンピックパラリンピックのボランティア募集要項が発表されたが、その中に「交通費及び宿泊は自己負担・自己手配」などの記述があったことから、「ブラック企業より酷い」「やりがい搾取」などの批判を受けた[8][9][10]。
ーーーwikipediaより
 
ピアノ講師という職業もこれを強いられがちです。雇われ講師なら発表会やグレードテスト、コンクールの付添等、無償労働だったりします。
 
当然私のような個人講師も、コンクール等の外部イベントは生徒さんが支払う参加費は全額直接そちらの団体に渡りますので、本番の付添は無償労働と化しております。勿論団体からの講師へのバックフィー等ございません。
 
付添の対価は善意の生徒さんからの御礼(商品券・有名店菓子等)で賄われると考えられていたという背景があるようですが、御礼まで気が回る方はそれほど多くないのが実態です。
 
「先生、来てくれてありがとう!」と言って終わる方がほとんどです。
過去には「当然先生も来てくれるんですよね?!」と圧をかけてくる親御さんまでいらっしゃいました。
 
この場合交通費自腹の無償奉仕ですから、上記のwikiによれば『ブラック企業より酷い』と言える状態なのです。
 
なお、私自身は今まで先生に付き添って頂いたことは一度もありません。子どもの頃は結果が出次第、電話報告を、大人になってからはメール報告をしたものです。
 
無償付添いをする場合、自腹の交通費や拘束時間を最低限にするため、生徒さん全員をなるべく1つの日程でおさめるという方法で頑張っている先生も多くいらっしゃいます。
 
しかし、先生の涙ぐましい努力も様々な事情(と言っても大抵は申込時の不注意)で一人だけ別日程になる方に振り回されてしまったり、シワ寄せがこちらに来てしまうんですよね。
 
やりがい搾取状態になるのはオカシイ、やっていられない!と業界を去っていく講師もたくさん見てきました。
 
講師のキャパオーバーなのですよね。
 
年に1回1人だけなら負担に感じなくても、年に数回何人も別々の日程で、となると結構な負担になります。
 
下手すると複数の生徒さんで日程が被ることもありますし、無理が出て来ます。
 
最初は良かれと思って無償付添いをしても、
それがいつの間にか
当然のこととして求められてしまう
→断れずに無理をしてしまう
→講師という職業を辞める選択をする・・・、
悲しいですね。
 
断れば良いじゃないかと思われるかもしれませんが、「今までは付き添ってくれたのに!」と不公平感が出てしまうのが予測できてしまうんですよね。
結果が良くなければ「先生が来てくれなかったからだ!」と理不尽なクレームに繋がる可能性もあります。
 
揉めるくらいなら無理してでも日程調整して・・・、と自分一人で背負い込んで体調を崩したり、燃え尽きたり、ハートの熱い若手講師に多いパターンです。
 
すでに御中元・御歳暮の習慣が廃れている現代、「生徒さんの『お気持ち』にお任せする」という御礼文化が絶滅危惧なのかもしれません。
 
とはいえ、気が回る方が損して気が回らない方が得するというのは不公平感・不透明感、さらには不信感に繋がります。私自身も御礼目当てに付添うわけではありませんが、やりがい搾取状態になるのは心身ともに消耗します。
 
だったらこちらから決めて明示してあげれば良いではないか!という発想で、定額有料化に踏み切ります。
 
〜〜〜2024年1月1日加筆修正〜〜〜
この記事意外と人気らしくてビックリです。(^_^;)
年配の先生方には受け入れ難い考えかもしれません。
大手で講師をしていた頃、年配の先生方のボランティア精神ありきの主張をし、若手講師が受入れられず、中堅講師が橋渡しに苦心した場面をよく覚えています。
 
「私は今まで無償付添いをやってきた!
生徒さんはそれぞれの気持ちをくれた!
この仕事はボランティア精神でやっていくべき!
それを一律有料化なんてセコい!
ケシカラン!!ズルい!!!」
 
そのような考えのベテラン講師の存在も存じております。
ベテランの先生なら威厳や貫禄が身に付いて、過剰な要求はされにくいという背景もあると思います。
 
保護者世代と同年代の私ごときや更なる若手ですと、威厳などより「言いやすさ」が勝り、色々言われたり要求されたりするものです。
 
又、その先生が無償付添いで何も問題無くやっていけているなら、その先生はそれで良いのでしょう。
 
ですが、日本は資本主義社会です。
 
基本、他人の時間は無料では手に入りません。
仕事としてお願いするなら尚の事、相応の金額と引換えになるはずです。
 
スポーツコーチの試合帯同も有料ですしね。
 
今は巷には様々な仕事・働き方があふれています。
無償労働が多くなると優秀な若手は他業種へ流れてしまいます。
 
それはごく自然な流れです。
 
私達もいつかは年をとり、次世代へ受け継がなければなりません。
 
その時に、「働きやすい環境」を整え、残していくのも必要だと私は考えています。